「受洗の証」 M姉
私がイエス・キリストを知ったのは、幼稚園の時でした。しかし、まだ小さかったので、ただイエス・キリストという人がいたということしか覚えておらず、信じていたというのではありません。
その後、小学校、中学校、高校と、神様とは全く無関係の生活を送っていました。
トロントに来てから、私の人生の中で大きなミスを犯し、精神的にも肉体的にも衰えてしまいました。私はその頃、夫婦間の問題、家族、経済面といろいろと悩みがあり、眠れない毎日が続いていました。
そんなある日、近所のおばさんに誘われて、彼女の通っている教会へ通うことになったのです。教会に通ったからといって、その時にイエス・キリストを信じたかというとそうではありませんでした。教会に通いだして数ヶ月が過ぎ、引越しをすることになり、また前と同じように神様から離れた生活を送っていました。
シェルター生活で精神的にどん底にいた私は、神様にすがりたい気持ちで一杯でした。そんな中で、友達に誘われて日系福音教会に来ました。2005年の9月でした。そして2ヵ月後には、スモールグループでイエス・キリストを信じますという祈りをしたのです。
それから5ヶ月後に、あることが起こりました。みじめな気持ちで泣いている時に、神様は「私はあなたと共にいる」と、私の心の中で優しく語りかけてくださったのです。その声はとても温かく、心の中で響きました。マタイ11:28には「疲れた者、重荷を負う者は、誰でも私のもとに来なさい」とあります。この御言葉は、私の一番好きな御言葉です。
また、去年の10月頃に悔い改めをしました。今まで多くの罪を犯してきた私にとって、悔い改めはとても大切な事でした。その後1ヶ月位たって、私の犯した罪についてあまり考えなくなった事に気付き、その瞬間涙が出て来て止まりませんでした。今までの罪の重荷から開放され、私は救われたんだと感謝と喜びの気持ちで一杯でした。
神様に対していろんな疑問があった中で、神様は教えてくださったのです。イエス・キリストは痛みや苦しみを私たちから取り除く為に来たのではなく、その痛みや苦しみ、困難に打ち勝つ勇気と信仰を与える為に来たのであるということを、私は教えられました。
神様を信じる前の私は、自分中心の生活を送っていました。しかし、神様を信じることによって、問題の壁にぶち当たっても心に平安があり、以前の様にどこまでも落ち込んで行くという事がなくなりました。
そして去年、私は洗礼を受ける決心をしたのです。「神様はいつも私たちの内にいきておられる」という言葉は、私達にとって本当にすばらしい事です。私たちは一人ではないんだという事が、主イエス・キリストを通して学んだ一番大きな幸せ(恵み)だと思います。
主・イエス・キリストに出会えて本当によかったと、毎日感謝の気持ちで一杯です。これからももっともっと神様のことを学び、さらに信仰を深める事が出来る様に努力していきたいと思います。