Y兄の半生(前半)
私は現在81歳になりました。過去を振り返って見ると、「神がこの小さな者をどの様に扱って下さっていたのか」を知る事ができました。
私の人生の前半39年間は、神を知らない、神に背をむけていた異邦人の一人にすぎませんでした。
私は14才の時、両親と共に生まれ故郷のバンクーバーから日本の山梨県塩山市に行きました。17才の時、私があこがれていた満州鉄道官職の勉強のため、東京に出て
鉄道機関工学の材料学を学んでいましたが、18才の1942年5月1日、日本帝国海軍に入団することになりました。
新兵教育を終えて、その年の8月、南方トラクト島基地に停泊していた南太平洋第2艦隊に所属する第四戦隊の重巡「摩耶」に配属となり、これから私の実戦に入る運命が始まったのです。
私の初陣はまず1942年10月11−15日のガタルカナル島米軍Henderson飛行場の艦砲射撃作戦ですた。その時20センチ砲弾450発が発砲されました。10月30日、
米戦闘機の襲撃を受けました。不幸にして、その戦闘機は機体をかわすことができずに本艦「摩耶」に突っ込み炎上。それが弾倉庫に点火爆発し、37名の戦死と多数の負傷者を出しました。
その時、鉄鋼弾が私の左まゆげをかすめたのです。まさに間一髪でした。
1943年11月5日、米軍のポートモレスビー島の脱還作戦が始まったので、私たちの第四戦隊は、この作戦防止のため出撃しました。途中、給油のために入港したラボール島で、
米艦載機による襲撃に合い、大損害を受け、70名の戦死者と60名の負傷者を出したのです。
私は、爆弾を受けたその間近に居ましたが、何の被害も無く難を逃れました。「摩耶」は、破損の状態でありながらも、ラボール港からの脱出に成功、トラクト島で仮の修理をして、横須賀
に帰港する事が出来ました。この機会に「摩耶」は、大改造をし対空巡用戦艦として生まれ変わりました。
1944年6月19−20日、「摩耶」はサイパン島海域のマリアナ海戦に参加しました。これが、米軍サイパン脱還作戦で、島民と軍隊の悲劇の島と化してしまったのです。
摩耶は、この海戦中の6月20日、米空軍の爆撃を受け、私の第四魚雷管近くに爆弾が破裂、その爆風のあおりで、私はとばされ意識不明にいたのです。その時、防弾盤が私の
上に焼け落ち、意識が戻りましたが、火達磨の状態で考える暇もなく近くの海水の防水桶に飛び込みました。私の横の配置に居た戦友は戦死しています。
1944年10月22日、出撃命令を受け、ボルネイを出港し、レイテー湾に向かっていた途中の10月23日早朝、パラワン海峡に差し掛かっていた時、所敵潜水艦の魚雷四発を受け、
艦長は全員退艦命令を出したので、私はすぐ海に飛び込みました。摩耶は1944年10月23日、午前5時57分、7分で沈没しました。
この時の戦死者は366名で生存者739名は、「島風」に助けられ戦艦「武蔵」に移りましたが、レイテー海戦は激しい戦いの中にあり、武蔵は米飛行機による爆弾や魚雷で
ほとんど戦闘不能状態となったので、「摩耶」乗組員は工作艦「あかし」に移り、10月24日日本に向かっていたとの翌日の25日に「武蔵」の沈没の報せを受けたのです。
日本に帰ってきた私は第一海兵団内の丘の上にある機関砲の機手として勤務していました。
1945年5月1日に海軍二等兵曹任官し第二突撃隊班長として、米軍が本土の上陸作戦に出た場合、もっとも可能性の多い東京湾入口で終戦を迎えました。
終戦後、私は電気製作所の外交員として働きました。ここで初めて現在の妻に出会いました。)
その後、カナダ国籍に復帰し、GHQ直轄の自動車大隊の修理及び配車の責任者と同時に通訳を4年半勤めました。
私は、終戦後の職業には恵まれていましたが、それが落とし穴となって、私の私生活に裏面なって現れてきたのです。日本においては、あらゆる道楽、酒色はもちろん、
賭博、競馬で金遣いが無鉄砲で、傲慢で、誇りっぽく何一つ良い所はなかった。カナダに来てからも、6年間は同じ状態が続きました。
妻はカナダには親戚はなく、私は、二人の娘を育てて行かなければならない妻の事も考えないで、勝手気ままな生活をしていました。妻は、自分はもう夫には愛されていないと
考えるようになり、ノイローゼになっていきました。
そんなある日、日本からの宣教師の導きがあり、妻はイエス・キリストを受け入れ、信仰によって病が癒されたのです。
妻は福音教会の皆様と共に私の救いのために祈っていました。不思議といっていいほどの奇跡が起こりました。妻が信仰に入って一年後、
私がイエス・キリストを受け入れたのです。
私は過去に次のような疑問をかかえていました。
「なぜ、戦争中に日本に来ていたのか?」
「なぜ、海軍生活中、何度となく死線を越えられたのか?」
「なぜ、戦後の私の私生活に何のお咎めもなかったのか?」
この時の疑問が解く事ができたのは、真理であられる神の御計画のうちに自分はおかれていたと信じる事が出来たからでした。
私はすでに、生まれてきた時から、神に仕える者として選ばれていたこと、日本に行った目的には広く異邦人の世界を学び神に仕える者としての訓練であったこと、私の
海軍生活でいく度か死線を乗り越えられたことは、世界の支配者のみから来る超自然的御業であったことと、又、私の終戦後の私生活をとがめることもせず、忍耐して下さった神の愛を知ることが
できました。
これらすべては、私が神に仕える者として必要な訓練であったのです。